narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

交流電燈

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宮澤賢治 《春と修羅》序

 

わたくしといふ現象は

假定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽靈の複合體)

風景やみんなといつしよに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 

これらは二十二箇月の

過去とかんずる方角から

紙と鑛質インクをつらね

(すべてわたくしと明滅し

みんなが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつゞけられた

かげとひかりのひとくさりづつ

そのとほりの心象スケツチです・・・以下省略



この詩は、宮澤賢治氏が「量子力学」を詩に表現したのだと

思います。

わたくしという現象の背にひそむ傷つきやすさや脆さ。

青色の光を燃やしながら、ある期間灯り、また消えてゆくけれど、

永遠の生命をもった輝く存在であると。


夏が過ぎ、秋の虫の音が聞こえるころ、

宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』を思うのです。


この宇宙も、いつか終わりのときを迎えます。

ひと粒の光から生まれた人間は

意識の集合体として 与えられた環境のなかで

役割をもって

「生かされている」一種の共鳴体のようなものかもしれません。