1月10日は、母の命日です。
脳血栓で46歳の若さで亡くなったとき、私は23歳。妹は18歳でした。
妹は受験で、私が付き添いで一緒に上京した夜、
危篤の知らせを受けて 夜行列車で帰郷しました。
雪が降って寒い夜明け、駅のホームにたたずんだ妹と私の姿を思い出します。
病院は、ぼんやりと灯りがともり、うす暗い病室の中で母と会いました。
母は、主婦として夫と子どものためだけに生きました。
おしゃれも、旅行もしたかったでしょうに。
今生きていたら、たくさん親孝行できるのに、
あのころは、父の一馬力でしたから安い給料で、家計を維持するのが
大変だったと思います。
お金がないから、すべて母の手作り。
洋服も、おやつも、すべて「おふくろの味」
髪もカットしてくれました。(母はとても器用でしたから)
しゃきしゃきして、家の中で動きまわって、明るい笑い声が絶えなかった。
ケーキも一時期ずいぶん凝ってつくってくれました。
お墓まいりをして、仏壇に「アップルパイ」をお供えしました。
「おかあさんのように上手に作れなかったけど、食べてね」
母は果物がとても好きでした。
私が果物好きなのは、母親ゆずりです。
おかあさん、ありがとう。
私 生まれてきてよかったよ。
これからも 見守っていてね。 合掌。