叫べどもあがなへぬ時あり残花
俳句に「追悼句」というものがあります。
死を575という短い言葉で表現することに
非情さを感じる人もいて
ためらいましたが
自分の気持ちを偽って、花鳥風月を写生した句をつくるのは
ウソだと思い、
今日締め切りの 結社の投句を「追悼句」でまとめました。
言葉の長短で、死の軽重を推し量るほうが
むしろ おかしいのでは。
生も死もひっくるめての私の人生の記録
それが俳句です。
まして、
死は生の延長線上にあると確信している私にとって
腹をすえて表現してゆかねばならぬものと思います。