narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

父の戦争


今日は仕事始めですが、年休をとりました。

出勤は、7日から。

明日は、お世話になった方の出版記念パーティーに出席します。

早めに出て、当地で恩師に会い、ランチをごちそうになる予定も。

クラス担任だった恩師が、帰りのHRで、

「今日、三島由紀夫が自決した・・・」と悲痛な声で知らせてくれたこと

昨日のように、鮮やかによみがえってきます。

昭和45年11月でした。


「なぜ・・?!」

生徒会から依頼されて、片っ端から三島の本を読み、

その思いを学校新聞に綴ったことも、はっきり覚えています。

その恩師とは、奇しくも同じ句会仲間となり、

今もこうしてお世話になっているのですから、おもしろいご縁です。

確かあのとき、

豊饒の海』を読んだかな・・・神道の一霊四魂や世阿弥を背景にした・・

「日本及び日本人の精神性」への警告とでもいうものを

漠然と感じた気がします。



今日、実家に行き父と雑談したとき、

戦時下の学生時代の話になり、

井上靖の『しろばんば』の少年みたいな

ヤワッチイ身体だった かつての父が

軍部から配属された教官に、いかに理不尽な扱いを受けたか、

配属将校にも「もののわかった人間」がいたが戦死なさったこと、

今まで聞いたことがない当時の話をしてくれました。

下宿生活で栄養不足だった父を見るにみかねて、担任教師が

夏休み中、故郷に戻れと命じ、教練を免れたことや、

時期がずれなければ、志願兵になったかもしれないことなども。

祖父が、毎日 海を眺めている人だったのですが、

早々と「この戦争は負ける、死ぬな。」と止めたことも。

(海を見て、わかるって?!祖父ちゃん、すごい!)


今の大連立の動きやなんか、戦前の「不穏な動き」と似てるね。


で、

皇室のこと。

皇室はなんのために存在するのか。

日本人は皇室のために何をなし、何を求め、皇室はどう応えるのか。


昨日、NHKで「伊勢神宮~神々の食卓」という番組を見ました。

天照大神様」

天皇」とは「祈る」存在とはっきり明示され、

「米」と「日本人の精神性」のつながりを、実にシンプルにまとめていました。


昭和天皇の思いを記した書に「昭和天皇独白録」があり、

敗戦直後の1946(昭和21)年3月から4月にかけて、

昭和天皇のご記憶を5人の側近が記録したものですが、

そこには気になるお言葉が少なからずあります。

一例が、42(昭和17)年12月12日の伊勢神宮ご参拝に関する項。

そのときすでに、日本はミッドウェー海戦で大敗し、

戦争の行方は見通しが立たなくなっていました。

同年12月、昭和天皇伊勢神宮に参拝され、

そのときのお気持ちを次のように語られています。

(桜井よし子さんの文から一部引用)

「あの時の告文を見ればわかるが、

 勝利を祈るよりも寧ろ速かに平和の日が来る様にお祈りした次第である」

一方、ご参拝は当時

「一天万乗の大君御親ら神宮に御参拝、大御神に御告文を奏せられ、
 親しく戦勝を御祈願あらせ給うた御事は、神宮御鎮座以来未だ嘗て
 史上にその御前例なく……」と報じられた(「独白録」)。

勝利よりも平和を願ったとしながらも、

昭和天皇は上記の新聞報道のように、戦勝祈願もなさっていた。

それは

伊勢神宮は軍の神にはあらず平和の神なり。

 しかるに戦勝祈願をしたり何かしたので御怒りになったのではないか」と

 語られたことが、木下道雄侍従次長の『側近日誌』(文藝春秋)に

 書かれていることからも判断出来ます。

戦局不利のなかでの天皇による戦勝祈願は、国民を大いに鼓舞し、

戦いへの新たな決意を堅固ならしめたことでしょう。

が、昭和天皇は、勝利は二の次で早い平和をこそ願っていたと仰る。

立憲君主としての矩(のり)を守ろうとなされば、

戦争続行の政府決定を受け入れるしかなく、その限りにおいて、

真意を表現出来ないおつらさはあったでしょう。

また目前の戦争での勝利よりは、長い目で将来を見つめるがゆえの、

平和を優先するお気持ちを持たれるのは、

上に立つお方として必要な良識でもありましょう。

だが現実に、軍人を輩出し

戦死者を出しながらも勝利を信じて力を尽くさざるを得なかった国民は、

天皇の“ご本心”を、戦後になって目の当たりにして、

置き去りにされてしまったかのように感じたのでは。

このギャップは埋め得るのでしょうか。


皇室は、ひたすら国民のために祈り、

その祈りを実践なさっていただきたいものです。

諸外国にはない、皇室の存在意義が失われないためにも。

憂うべきは

欧米の「ロイヤル」と混同した、皇太子ご夫妻の「祈り」の希薄さです。

雅子さまのご健康を祈りながらも、

妃のはじける笑顔から、皇室の存在理由としての

国民のための「祈り」を読み取ることが出来ないのは、残念なことです。


今上天皇陛下の「お祈り」は、

一般参賀のお言葉」からも感じられますように、

心に深くしみいるお言葉でありました・・・

ありがたいことでございます。 拝