narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

出雲PART2

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出雲大社の千木(ちぎ)と注連縄


写真をアップしていたら、県からTEL!

驚いてワケを聞くと、台風で帰郷できない部門が2つほどあるらしく、

騒然としている模様です。

大丈夫だといいけれど・・・

私もあと1日ずれていたら大変なことになっていたでしょう!



で、sumiさんからのご質問にお答えいたします。

千木というのは、神社の屋根の両端で交差している二本の木です。


現存する文献上で出雲大社の造営に関する記事が見える最初のものは

日本書紀です。

平安初期の源為憲(みなもとのためのり)という学者が書いたものによると、

当時の大建造物のおぼえ歌があり、「大屋を誦して謂う。雲太、和二、京三」

雲太とは出雲にある出雲大社のことで、これが一番大きく、

次いで大和国東大寺の大仏殿であり、

京三とは京都の大極殿八省(今の平安神宮)のことだと記されているのです。

東大寺大仏殿は平安末期の源平争乱の中、治承4年(1180)に戦焼していますが、

焼ける前の高さは十五丈(約45m)と伝えられており、

出雲大社はそれ以上あったことになります。

歌人として名高い寂蓮法師の「千木の片そぎ」の歌に、

「やわらぐる光や空に満ちぬらん/雲に分け入る 千木(ちぎ)の片そぎ」 

出雲を訪れ初めて見た出雲大社のあまりの高さに驚き、

その感動を「雲に分け入る」と表現しています。


伊勢神宮の千木はその先端が水平に切られていますが、

出雲大社は垂直です。

その鋭い千木の先端が

まさに雲を突き破って空に達するほどに感じられたのでしょう。



なんでも「古事記」(日本最古の歴史書)によりますと、


オオクニヌシの尊は、出雲を高天原の神々に譲り渡す条件として、

高天原に建っているのと同じ様な豪壮な宮殿を建ててくれと要求し、

高天原もこれを了承したという由来があり、

条件として

 「私の住むところを、

  高天原に住む天津神(あまつかみ)達のそれと同じように、

  頑丈な基礎と太い柱で建て、高天原に届くほど高く

  千木をかざして建ててもらうならば、

  (私は引きこもって神妙にいたします。)」 と。


すなはち、空に届けとばかりに

千木を築いたところから、あのような屋根になったのでしょう。


そして巨大な注連縄(しめなわ)。

マコモ(真菰)で作られています。

マコモは古来から「霊草」と言われ、浄化力が強いのです。

我が家では、「マコモ風呂」に毎日入っています。


八雲立つ神の国・・・本当に雲が特別!

地元の人は、あまり気にもとめないようですが、

ものすごい結界が張られている「パワースポット」

龍神様や鳳凰(フェニックス)の雲がいつもたなびいておられるようです。


五芒星(五角形)は、陰陽道では魔よけの呪符として伝えられています。

印にこめられた意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説

木・火・土・金・水の五つの元素の働きの相克を表したものであり、

五芒星はあらゆる魔よけの象徴です。


地元の方にお聞きしたら、

大きな災害などは、今までなかったというのも

なるほどと うなづけます。



八百万の神々が参集するにふさわしい社殿であり、

大国主大神オオクニヌシノミコト)をおまつりするのが、出雲大社なのです。

同日、

秋篠宮様、妃様、真子様がいらっしゃいました。

これも、後になるとわかる慶事なのでしょうね♪