8月9日午前11:02分。長崎の地に原爆が投下された。
爆心は同市松山町のテニスコート上空で、年末までの死者7万4000人、
負傷者7万5000人。市内の約3分の1が壊滅的な被害を受けた。
三菱兵器製作所が崩壊した。
その爆心地跡を訪ねた。
朝から35度の暑さ。
入道雲が、原爆の空を否応なしに連想させる。
身体にまとわりつく熱気と汗 ひりつく喉。
次第に足が重たくなり、引きずるように
爆心地を歩いた。
そばで、ボランティアガイドの初老の男性が
町の惨状を語気を強めて語り続ける。
フクシマの放射能の説明も続く。
過去の負の遺産が、現在もなお繰り返される。
黒こげのお弁当箱 ↓
爆弾のプルトニウム↑
若い世代に語り継いでいかなければ風化してしまうという使命を意識なさって、
ガイドの方々の語る言葉は、重く強くなる。
高校生たちの「心の器」が、言霊をきちんと受け入れられるものであってほしい。
隠れキリシタンの歴史、出島の交易など、さまざまに織りなす長崎の地、
4泊5日の日程では、理解するのは難しい。
長崎の人々は、接すれば接するほど誠実でやさしい。
傷ついた過去を持ち、それを乗り越えてきた人特有のやさしさであると感じた。
長崎原爆資料館内に展示された「時計」