narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

イカ寿司

🔷 イカ寿司

えげつない猛暑日が続いています。ざっと夕立がくるとホッとします。

夏はイカが美味しい季節です。イカのさまざまな部位をお寿司にして歯ごたえや食味を味わいます。美味(^^♪


🔷 いわし雲

今日は、今年初のいわし雲。びっくりしました。酷暑なのにもう空は秋なのね。


帰りに酒店に立ち寄ると、レジで高校野球を観てる店員さんがいました。もう6時近いのにまだ甲子園やっている、しかも車の外気温度が40℃近いのに。「この暑さで野球やっているなんて・・」とつぶやくと、店員さんが「わたしも高校球児でした。暑くてもがんばるんです、ほめてやってください」と返事がありました。甲子園に行けずとも、この店員さんの青春は野球と共にあったのですね。私は、昔より異常な猛暑続きで命の危険をともなうのに、甲子園の時季をもっと涼しい時季にずらせばいいのに、と思ってつぶやいたのです。どうしても夏の季語に入れたがるのでしょうか、甲子園って。


🔷 華厳経

一日で読了した本。

この混迷する時代に、仏教の力は無力ではないかと思いつつも、もう一度初心にかえって読んでみたい本でした。
玉城康四郎先生の語り口は、とてもやさしくわかりやすく心にスッと入ってきました。難解なものをいくら読んでもわからない、わからなくてもとにかく苦し紛れに読む、すると読み終わったら何かわからないけれども、スッと開けてきた。いわばお墓参りをした時の清浄な気持ちに近いもの。それを「身体で読む」と先生はおっしゃっています。
俳句のめざす境涯(世界観)に近いもの、でした。私はいつも本を読むときは「あとがき」から「まえがき」→本文を始めます。最後のほうから読んでいく順番。いつからかそうなりました。学生時代に読んだ道元禅師の『正法眼蔵』に、「海印三昧」という巻に、諸仏諸祖とあるに、必ず海印三昧なり。この三昧の遊泳に、説時あり、証時あり、行時あり。海上行の功徳、その徹底行あり、これを深深海底行なりと海上行するなり。

海の底にしっかりと足がついたまま、海の上を泳いでいるのだ。毎日毎日、人生の大海を渡っているということ。映り行く事物や人の影は、私の中に全部宿っている果てしないもの。「いま、ここに現れている」ことが大事。心なんていいかげんなもので、すぐにころっと変わってしまう。これほど当てにならないものはありません。鳥の声、花の色、水の流れ、雲の姿すべて。生きとし生けるものを救おうとされるビルシャナ仏はそうした『華厳経』の説く「悟りの世界」を表わしたもので、われわれ一人ひとりの存在ばかりでなく、あらゆるものが無限のつながりと広がりをもち、これらすべてのものが、ビルシャナ仏の光明に包まれているという考えなのです。