父に先祖の船問屋の話を報告したら、頷いて「他にもいろいろやっていたんだ」
なんで子どもたちに詳しく教えてくれないの?と聞くと、
本家が話したがらないからだと。没落した家系の遺恨でしょうか・・。
父から聞いた本家は、
S町の一区画を門で囲んだ「垣内(カクチ)の家」と呼ばれたそう。
当時の土地制度なのでしょう。カイト、とも言うようです。全国に点在するらしい。
八戸藩は、米のとれない土地を海運で盛り立てようとしたらしく、全国の港との交易を図り、今では考えられないくらいの隆盛をきわめたらしいです。
ですから、厳島神社の御神体を蕪島神社まで船でお運びした話もフェイクではないそうです。三浦先生から直にお聞きしました。科学的根拠(記録)はとうにないので、伝説みたいな感じでしか残っていません。
なぜに没落したのか知りたい・・
曾祖母が亡くなった時、タンスに膨大な貸付け書類が残っていたのを、幼いころに見ました。父が言うには、「取り立て」をできないまま紙同然になってしまったようで。
先祖に「闇金ウシジマ」みたいな人がいなかったから(苦笑)
人に金を貸せば、催促したほうが「恨み」を買うのは世の常、八戸の「山」を抵当に、と申し出た人もいたそうですが、
曾祖母が「山なんて二束三文にもなりゃしない」と断ったそうです。
現金主義だったみたい。
もらっときゃ、今頃は白山台あたりの大地主になっていたかもしれません。(苦笑)
「たられば」の夢物語です。
きっと、気の良い先祖が連帯保証人にでもなって「かまど返し」カマドケシと
方言で言います。「破産」したのではないでしょうか。
詳細は、不明。
全国の廻船商人が飲めや歌えやの連日連夜、往時、芸事・料理も盛んだったそう。
私の芸人好きも、遺伝子レベルなのかもしれません(笑)
今夜は、楽しい夢を見そうです(*^^)v
晩ご飯は「新そば」(^^♪
山形の五割蕎麦。大根と手羽中を炊飯器で醤油煮したの。南瓜とさつま芋。