narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

疾走する茂木健一郎氏

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初物のさくらんぼと庭のバラ&火鉢

雨上がりの庭は、いちだんと輝きをまして、

一気に花がほころびました。

近所の花たちの様子も見ながらの夫との散歩は

のどかで心穏やかになります。

こういうこと、去年まではできなかった。

夫に手を合わせながら、文書作成やら連絡調整やらかけずり回った日々でした。

ようやく

神様は、この暮らしが叶うように はからって下さったようです。


今年初物のサクランボは、山形産。

夫婦共々季節の果物には目がなくて、今夜のデザートを楽しみにしています。


茂木健一郎氏。


なぜ気になる脳科学者なのか、つらつら考えてみました。


どうも彼は 前世「神官」だったようです。

伊勢神宮猿田彦大神に縁があったようで、

しかも今生で 大きな使命を帯びてきた方のように思います。

多くの人と情報ネットワークを生み出す原動力になって、

この世の人文科学・自然科学・社会科学の融合を実現できるのは

今のところ 彼しか見あたりません。

疾走する茂木健一郎氏の「クオリア」は、

私がずーっと模索してきた精神文化を、プロジェクト化する分野。

すべては、「一体」であることの科学的証明とデータ収集に

彼は、何かにせき立てられるように駆けめぐっています。


注目すべきは、「ものを見る目」

彼のブログ?「クオリア日記」は、とても興味深く現代を

切り取ってくれます。


思いつきのような人との出会いや、対談、つぶやきまでが

生き生きとした偶然性を超えたある系統性が感じられる。


すべてが出会うべくして出会い、書くべくして書かれたものだと


俯瞰されます。


こうやって、大きな歴史の流れが体系化していくんだろうな~~。


茂木さんの周りに集う人たちは、本物か本物に近づこうと努力されて

いらっしゃる方々で、

不思議と素粒子が集合意識を持って引き寄せられているかのようです。


例えば、白州信哉氏。

彼は白州次郎氏と白州正子氏と小林秀雄氏のお孫さんです。

小林秀雄氏「美と出会う旅」を2002年に編集なさいました。名著。

さらに

小林氏と「ものの真贋を見分ける目」のつながりで関係の深かった

白州正子氏の魂を受け継ぐ方。


「色彩とは壊れた光である」という名言は印象的です。

いとも容易に茂木さんとつながっているのに驚嘆しました。

重松清氏(すごい作家!)とも

芸大の講義を通じてとても深い対談をなさっていたり、

(またその内容たるや、筆舌に尽くしがたい深さ)


今度 羽生名人とNHK「プロフェッショナル」で特番を組むとか。


とにかく 

きら星のごとき高い魂とのコラボレーションの連続。

ボスがソニーの土居さん(天外伺朗氏)←ある人を介して

直にお話する機会がありました。


何が言いたいかというと


科学技術の発達。テレビや新聞から次々と流される情報・・・

翻弄されて見失った何か大事なもの

「神は光である」

「すべては一体である」

など、そういうこの国の人々の在り方を、ナビしてくれる

「使命」を帯びて、彼は存在しているんじゃないだろうか、と。


李朝白磁を見ながら

茂木氏は考察します。


「古代人は、無心に酒器をつくろうとした。

 しかし、現代作家のそれは『近代的自我』が邪魔をしている・・・」と。

「オレが」という作家性が 嫌な雑味になっている。


この、近代的自我をなくさない限り、


この地球は救われないんじゃないかと、私は思うのです。


許し合う心、譲り合う心、自他ともに愛する心。


天と地と海を いのちの根源とする心。


以前からこのブログに書いていますが、

「気づき」が大切なのです。


   自然の花は確かに輝いて見えるけど

   それはあくまでも素材。

   人間が摘み取って、器に入れて、

   部屋に飾って、はじめて花に本当の命が吹き込まれる

   美しい花があって、しっかりした器があって、

   それに似合った空間があってこそ

   花そのものも生きてくるのよ。     (白州正子氏のことば)