受かる受からないがわかる不思議
夕食は牡蠣(カキ)ご飯。
デザートは柿(笑)。
3日間好天に恵まれて 紅葉狩りの観光客が渋滞していたのを尻目に、
我が家は、ゆ~っくりの~んびりしたもんでした♪
時間に縛られない生活って、いいなあ~。
今日から、また慌ただしい一日が始まりました。
推薦入試が、大学側の意向で(青田刈り)で、やたら増加してきて
小論文指導やら、面接指導やらに追われています。
で、まあこれは長年のカンなのかもしれませんが・・・
その生徒が受かるか受からないかは、
90%の確率でわかってしまうのです。
成績は基準値をクリアしていなければ推薦ができませんので、
問題外なんですが、クオリア(目に見えない質感)というのが
大きく作用するような気がしてなりません。
同じレベルでも、受からない人は、「光」がないのです。
理屈では表現しにくいナニカ、「意気込み」「気迫」とでもいうものかしら。
これは不思議なんですが、関わっている私だけでなく、
スタッフが共通して言うことです。
「彼女は、大丈夫ね」
「そうですね」などと、もちろん本人のいないところでの会話。
実力+その生徒を応援する目に見えない「力」=合格
この定理は、どこの学校においても共通なものです。
しかし、推薦やAO入試がさらに拡大する状況の中で
ろくに本も新聞も読まない、考えない、生徒を
「付け焼き刃」で指導することを 疑問視しないわけにはいきません。
場当たり的ではない、幅広い教養を身につけた
知識ではない、「智恵」を持ってほしいと願うのですが・・・
いつも現実との矛盾に迷走するばかり。
合格は、単なる通過点にすぎないのに。