narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

何かが欠落している

あべ静江「コーヒーショップで」
動画クリック→http://jp.youtube.com/watch?v=H4XVBrVxO6w

『コーヒーショップで』 あべ静江 (1973年)

作詞 阿久悠 作曲 三木たかし 編曲 馬飼野俊一

古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる

服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち明けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵 私は描いて
なぜか心を安めてる



あべさんのデビュー曲。

昔、ガロの『学生街の喫茶店』とのリンクを感じさせる。

まさに1973年はフォーク&コーヒーショップ元年!

マスターという響き、懐かしい。

こうして

ユーチューブで動画を見られるなんて、ね~。

しみじみしてしまう。

歌詞が、時代を俯瞰しているのがいかにも阿久悠さんらしい。

こういう目線で、小室哲哉氏の今度の事件を見たときに、

彼の音楽には、「俯瞰する視点」が皆無だったのではないかと感じる。

場の空気感だけで、リズムを刻んでいれば若者は食いついてきたから。

私は

当時の狂騒的なサウンドは「ノイズ」でしかなく、

街中で響いてくるTK音は、無意識に耳をふさいでいた。

個人の好みだから仕方がない。

今、ようやく落ち着いてきたな~、堪える楽曲が復活してきたな~。

と、感じていたら、この事件。

やはり・・・。

巨額の富を手中に入れても、泡のように消えてしまうのだ。

だいぶ以前から、彼を囲む悪い人たちの噂はあったようだ。

いいカモだったのだろう。

取り調べで真相を究明されれば、仕組まれた「罠」が幾重にもあるはずだ。

TK氏は、精神的な支えがなかったから

容易に取り込めたのだろう。



下半身がだらしない人は、お金にもだらしがない傾向がある。

食生活も、億ションのリビングで冷えたチャーハンや

カップヌードルをすする日々であったそうだ。

彼の心には、阿久悠氏の歌詞は、どんな風に感じられていたのか。


情緒、余韻、日本人のやさしさ、まごころ。


小室氏は 

人生の悲しみや愛のこと うち明けて誰もみな旅立った

コーヒーショップのマスターには なれなかったのだろう。