narinattaのスイートプラン

気ままなライフ日記

ふくろうの河


三浦哲郎氏の『いとしきものたち』を読んだ。

八ヶ岳山麓の山荘で過ごした日々の、暮らしに関わる

動植物や季節の移り変わり、そこから生まれた心象風景などを

まとめた作品である。

読み進むうちに、作者の息づかいと、いのちあるものに対する限りない

やさしさが伝わってきて、ゆったりと澄んだ空気感に心底安らぎを感じた。


一つひとつの文字から心地よい音が響いてくる。

音が聞こえてこない文字は、無力だ。

葉のそよぎ、虫の脚の動き、土のやわらかさ、鳥の羽音。

文字は、もともと自然の音から生まれたのだが、時を追うごと

「弱音」になっている。

それらの音にじっと耳を傾ける作者がいた。

ふくろうの姿が生き生きと描かれている場面で、思い出した映画がある。


『ふくろうの河』 1962年 フランス短編映画。


監督は、映像の詩人と言われたロベール・アンリコ。

冒険者たち』で有名。


何の説明もなく、いきなり橋桁から絞首刑にされようとする男のアップ。

目隠しされるまでに男が見た風景の、何という美しさ。

モノクロで台詞が皆無ゆえ、逆に見る側の想像力が否応なしにかきたてられる。

刑の執行。

ロープが切れ、男は河に落ちる。

男は必死でロープをほどき、向こう岸に泳ぎ渡ろうとする。

兵士たちは執拗に銃や大砲で男を狙う。

逃げる男の目に、

木漏れ日のまばゆい光が反射する。水滴の一粒まで鮮明に映る。


男はひたすら走り、森を駆け抜け、妻子の待つ農場へ。


待ち受ける美しい妻をやっと両腕で抱きしめようと・・・・そこで画面は一転!


処刑後の宙づりになった男の姿。


兵士たちは、刑の遂行任務を終え、号令と共に立ち去る。

それは、瞬間の結末だった。


30分足らずのこの映画は、カンヌ映画祭の短編グランプリを受賞した。

一切の無駄をはぶいた、映像の力があったからだ。


人生とは  きわめて主観的なものだ。

死が訪れるまで、主体的なイメージで人は生きる。

現実も仮想もたいして変わらないし、イメージそのものが生きる実感なのだ。

どちらが本当かと問われると、クラインの壺めいてとらえがたいが、

この男が最期に見た木漏れ日の美しさや蜘蛛の巣、蛇が河を泳ぐ姿こそが

唯一信じられる「生の証」ではあるまいか。


時空を超えて、人は生きる。

イマジネーションが世界をつくる。(時空研のテーマ)

表現の根本は、表現しなければ耐え難い思いであり、

松尾芭蕉も自らを「風羅坊」と称したように、生きにくさを抱えているほうが

むしろ創造の翼を広げることが可能だと思う。



「癒し」という甘ったるい言葉を 三浦哲郎氏は用いたりしない。

自らが感動し、自らが荘厳の美に打たれるのだ。